透析を受けながら活躍する人々
掲載:2019年 vol.37

毎日の自己管理について、大八木さんは「幼いころから治療を続けていたので、つらさはほとんど感じません。運動も好きなので、無理をしないように続けています」。
支えてくれるみなさんに感謝しながら、
長く元気で、たくさんの趣味を楽しみたいです。
会社員
大八木 宏仁 さん
1977年、京都府京都市生まれ。3歳の時に、膀胱から腎臓へ尿が逆流したことから腎機能が低下。11歳でお父様から生体腎移植を受ける。その後数回にわたり拒絶反応があり、中学3年生の時に血液透析を導入。高校卒業後は、1年間療養を経て就職。現在は医薬品卸会社の配送部門に携わっている。趣味が多彩で、スキーやテニス・野球・自転車などのスポーツをはじめ、フルートやバイオリンなどの楽器演奏、カメラまで多岐にわたる。
15歳で血液透析を導入。
詳しい知識がなく、現実を受けとめるのに時間がかかりました。
私が透析を始めて、今年で27年です。3歳の時に私がひどく泣くので母が病院へ連れていったところ、膀胱から腎臓へ尿が逆流していることがわかりました。手術を受けましたが、その時の影響で腎臓の機能が低下しました。
小学校5年生の時、父が腎臓を提供してくれて生体腎移植を受けることになりました。手術は無事成功しましたが、その後急性・慢性の拒絶反応が2度ずつあり、中学校に入学してから1年間はほとんど入院生活を送っていたのを覚えています。その後しばらくは安定していたのですが、中学校3年生の1学期に医師から透析導入の話があり、血液透析を受けることになりました。

「近所の愛宕山はとても惹かれる山で、よく登ります」と大八木さん。以前は一眼レフを持参し撮影したことも。ピアノやビリヤードなど、楽しみは尽きない。
導入当時私はまだ15歳だったので、透析について詳しい知識はありませんでした。それでもこれから続く治療を思うと、現実を受けとめるのには時間がかかりました。また、学校生活も友人とは異なるものになりました。それでもこれから続く治療を思うと、現実を受けとめるのには時間がかかりました。また、学校生活も友人とは異なるものになりました。週に3回、放課後に病院に通うのはもちろんですが、体育の授業にもあまり参加できませんでした。部活を始めようと思い、吹奏楽部への入部を希望したこともあります。ただ私が通っていた学校の吹奏楽部は毎年全国的なコンクールでも入賞するほど有名で、練習は楽器演奏だけでなく肺活量を上げるためのランニングなどもありました。楽しく楽器を演奏したいと思っていた私には、目指しているものの違いや体力的な懸念もあり入部は見送りましたが、先生からフルート講師を紹介してもらい、フルートを習い始めました。お小遣いを貯めて、気に入った一本を買い、3曲ぐらい吹けるようになりました。親戚の結婚式でも演奏したんですよ。
フルートをはじめ、趣味は多いと思います。基本的に体を動かすのも好きです。登山やスキー、マウンテンバイクにも一時期熱中しました。3つの草野球チームに所属し、友人に勧められて一緒にテニスも楽しんでいますが、最近は膝に痛みがあって少し休んでいます。でも筋力を上げたいと思って、腕立てやプランク、スクワットなど自分でできる範囲で運動は続けています。
透析は、導入時は週3回4時間でしたが、現在は転院し、週3日の平日は4時間、土曜日は5時間行っています。お世話になっている先生は、しっかり食べて「長時間・頻回・個人の体重に合った血液流量の透析」を行うことが、より良い予後につながるというお考えで、時間が許す限り私たちの希望に応えてくださいます。転院して半年ほど経った頃、それまで長く悩んできたかゆみやレストレスレッグス症候群(むずむず脚症候群)がなくなり、こうした透析のおかげだと感じました。
患者に寄り添って手厚くサポートしてくださる病院のみなさん、いつも支えてくれる家族、友人に感謝しながら、このままトラブルなく毎日を送っていけたらいいなと思っています。現在の目標は、筋肉が付いてきたらテニスの練習や試合に復帰すること。年齢を重ねてもできるスポーツなので、長く続けたいですね。また最近はバイオリンも習い始めたので、少しでも上達して、みなさんに披露できるまでになりたいと思っています。