透析を受けながら活躍する人々

掲載:2018年 vol.31

根岸 佐知子さん

支えてくださるみなさんへの感謝を胸に、
恩返しをしていきたいです。

管理栄養士

根岸 佐知子 さん

1975年、群馬県前橋市生まれ。短期大学卒業後、介護施設の栄養士として勤務。その後、結婚・出産を経て、働きながら管理栄養士の資格を取得。2014年に体調を崩し、腎機能悪化によりメニエール病と診断される。腎臓への負担から同年9月に腹膜透析(CAPD)を導入。すぐに腎臓移植の登録を行う。腹膜透析のAPDに移行した後、2015年には血液透析を見据えてシャント手術を行う。2016年、カテーテルの不具合から血液透析へ移行。同年、臼蓋形成不全による両足人工股関節置換手術を受ける。現在はオンライン透析を行っており、将来的には在宅透析ができるようになるのが夢。

透析をしながら仕事を続け、大きな手術も経験。
ずっと前向きにがんばりたい。

 私は今、管理栄養士として地元の介護施設に勤めています。前橋市で生まれ、短期大学を卒業してすぐに栄養士として働き始めました。5年後、結婚や出産をきっかけに仕事を少しセーブしていたのですが、シングルマザーになることをきっかけにより良い資格とやりがいを求めて、10年前に管理栄養士の資格を取りました。その後職場も変わり、現在の勤め先では今年で6年になります。

 今の仕事は、透析をしながら家族と生活する上で、大きな支えの一つです。血液透析の場合、週に3日通院することになると、仕事に支障が出やすくなって、どうしても勤めづらくなるという現実があります。また、一度辞めてしまうと新しく職を見つけるのも大変なため、透析を始める前から、体調が良くない時も必死でがんばってきました。周囲の方の理解もあり、今も続けられています。

根岸さんを中心に、娘さんとお友達、そのご両親たち。

根岸さんを中心に、娘さんとお友達、そのご両親たち。お付き合いは、10年以上になる。「私が透析を始めた時、娘はまだ小学生。みなさんが支えてくださったおかげで、今があります」と根岸さん。

 私はもともと腎臓が弱かったのですが、自覚症状がなかったために数年ほど前まではそれほど深刻に考えていませんでした。以前に一度腎生検を受けているのですが、その時は異常があるという結果は出ず、治療を受けたり食事に気をつかったりなど特別なことはしてきませんでした。

 ところが2014年、徐々に不調が襲ってきました。腎機能低下により、貧血やめまいの他、耳の中までむくむような症状があり、メニエール病と診断されたのです。常に体がだるく、血圧も高くなりました。腎臓に負担がかかり、少しずつ症状が悪くなっていく中、将来的に透析を導入する話は出ていましたが、できるだけその時期を遅らせようと、薬での治療を受けました。

 同じ年の9月、透析を始めることになり、悩んだ末に子どもと仕事のことを考えて腹膜透析を選びました。最初はCAPDを始め、APDに切り替える練習をしていた頃、悲しいことに母が亡くなりました。実はこの年に癌がわかり闘病生活を送っていたのです。自分の手で行った最初のバッグ交換は、葬儀の時でした。不安でいっぱいの中、なんとか無事に終わりましたが、今考えてもあの年は自分や家族にとって本当に大変な年でした。

 翌年、将来的に血液透析の導入を見据えてシャントの手術をしたのですが、すぐ後にカテーテルが詰まり、そのまま2016年の1月に血液透析に移行。またその頃、10年ほど前から続いていた股関節の痛みがひどくなり、臼蓋形成不全という診断で両足人工股関節置換手術を受けました。大きな手術でしたが素晴らしい先生に出会えたおかげで、痛みのない生活が送れるようにまでなったんですよ。

 今お世話になっている善衆会病院は、私の母が看護師として勤めていた病院です。先生や看護師さん、スタッフの方々が親しく接してくださること、そして母が病院のみなさんと私との縁を作ってくれたことに、深く感謝しています。

 また私には娘がいますが、いつも娘を見ていてくれる父にも「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。父のおかげで、私は仕事を続けられ、夜間透析にも通えています。そして、娘が幼い頃から仲良くしてくれるお友達とそのご両親にも、いつも助けていただいています。

透析や関節の治療でお世話になっている善衆会病院の先生、娘さんと一緒に。

透析や関節の治療でお世話になっている善衆会病院の先生、娘さんと一緒に。左から、内科部長・透析センター長の林潤一先生、根岸さん、娘の来望さん、診療部長・人工関節センター長の佐藤貴久先生。

 体や気持ちがつらい時、落ち込んで「私は生きていていいのかな」と思うこともあります。でも、こうして励ましてくれる人がいて、また立ち上がって進んでいくことができます。

 今の目標は、支えてくださるみなさんへの心からの感謝を胸に、自立し、社会へ恩返しをしていくこと。自分自身がきちんと働きながら、娘が幸せに成長するのを見守っていきたいです。