透析を受けながら活躍する人々
掲載:2019年 vol.36

左からご主人の敬さん、千鶴さん、息子の太志くん、島の留学生の石川典慎くん。自宅の前の海で、飼っているポニーと一緒に。小野さんのお宅では、他にもヤギや犬、猫、ニワトリなどさまざまな動物を飼っている。
出産も在宅透析も、最初は無理かもしれないと思いました。 でも、諦めないで本当に良かったです。
くらしの学校 えん主宰・主婦
小野 千鶴 さん
1980年、長崎県上五島町生まれ。高校生まで地元で過ごし、卒業と同時に関西のバス会社に就職。バスガイドとして勤める。膀胱炎の診察で病院を訪れた際に、尿たんぱくを指摘され、糸球体腎炎と診断される。故郷へ戻り、保存期の療養生活を送っている時に、ご主人と出会い25歳で結婚。同年、血液透析を導入。福岡や地元の病院の篤いサポートを受け、翌年に男の子を出産。約4年前からは在宅透析に移行。現在は、夫婦で「くらしの学校 えん」を主宰。小・中学生を受け入れ、家族と一緒に自給自足の生活を送っている。また自宅の目の前には海が広がり、ここで採れた海水で作る旨みたっぷりの塩は全国にもファンが多い。
同じ悩みを抱えている患者さんに、
「元気と希望を諦めないで」と伝えたいです。
私は、長崎県の五島列島にある新上五島町で生まれ育ちました。高校生までこの島で過ごし、卒業後はもっと外の世界も見てみたいと関西の会社に就職。奈良県で寮生活をしながら、バスガイドの仕事を始めました。バスガイドは休憩時間が不規則なため、膀胱炎になる人が多いのですが、私も体調を崩して病院で診てもらった時に腎臓病が見つかったのです。腎生検を受けたところ糸球体腎炎と診断されました。
医師から将来的な透析を見据えた話を聞く中で、急に故郷の島が恋しくなってきました。一方で就職して3年半ほど経ち、周りの環境に慣れて仕事にもやりがいを感じていたので、そのままの生活を続けたい気持ちもあり、悩みましたね。でも母が、幼い私の兄弟を島に残して奈良まで見舞いや付き添いに来てくれるのは大変なことです。仕事を辞めるのは苦しかったですが、やはり島に帰ろうと決めました。
実家での生活は穏やかで、アルバイトをしながら、できるだけ保存期を長くするために食事にも気を配っていました。でも4年が経った頃、貧血やむくみがひどくなり、25歳の時に血液透析を導入しました。当時はまだシャントを作っていなかったので、股関節からの緊急透析でした。体のだるさがスーッと抜けて、まるで生まれ変わったように感じたのを覚えています。

明るい笑顔が絶えない千鶴さん。家族のことを話すとき、一層輝く。在宅透析をされている時間に、取材させていただいた。
くらしの学校 えん
自給自足を基盤としながら、自然体験や環境学習を実施しています。
http://salt99.com/
同じ年、私は結婚しました。病気をきっかけに、体に良い食べ物について考えるようになっていた時に、同じ島で自給自足の生活をしている人がいると聞き、役場の人にお願いして紹介してもらったのが今の夫です。夫にいろんなことを教えてもらううちに、自給自足は大変だけどとても充実した生き方だと感じるようになりました。私たちは子どもが好きだったので、自然と結婚後は子どもが欲しいと考えるようになりましたが、透析をしながらの妊娠・出産は簡単なことではありません。いろんな病院の先生方に相談しました。でも「前例がない」「リスクが高い」といった理由で、なかなか実現しませんでした。そんな中、福岡で透析患者さんの妊娠・出産に関わってこられた先生に出会えたのです。先生の「がんばりましょう」という力強い言葉や、地元の病院のみなさんのサポートにも励まされて、無事息子を出産することができました。
私たちは、3年前から「くらしの学校えん しま留学」を始めました。これは、夫が結婚前から行っている小・中学生対象の野外キャンプ「しまキャンプ」を発展させたもので、1年間私たちの家族の一員として受け入れ、一緒に自給自足の生活をするというものです。この島の豊かな自然の中で、たくさんの動物に触れながら、作物を育てて収穫したり、薪を割ってご飯を炊いたりお風呂を沸かす生活を体験してもらいます。いま参加している1名の生徒は来年も滞在し、加えて3人の受け入れも決まっています。また、自宅では塩づくりと販売も行っていて、毎日がとても忙しく、あっという間に時間が過ぎていきます。透析に通うのは大変で、約4年前に在宅透析をすることに決めました。夫が介助者として一緒に勉強してくれ、今は週に5回5時間の透析を自宅で行っています。透析中も「くらしの学校 えん」への問い合わせの対応や、塩の販売に関する連絡をしているんですよ。目まぐるしいですが、とても充実した日々です。妊娠・出産も、在宅透析も、最初は無理かもしれないと思いました。でも、諦めないで本当に良かった。同じ悩みを抱えている患者さんにも「元気と希望を諦めないで」と伝えたいです。